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日替わり定食

ブログには



できれば(本当にできればのはなし)
淋しい、悲しい、苦しいは、書かないよう
恨みつらみは書かないよう
愚痴や自慢は書かないよう

面白いこと 代わり映えのしない日常をと思って書いてきた
ここ、日替わり定食屋

だけど今回は湿っぽくて
精進落としがいりそうな定食となりそう・・・
ま、ゆるして~




父が逝った。
92歳
終盤は結構壮絶な戦いとなった
若いころより運動で鍛えた体は、人間としてはすでに死んでいても
命だけが残った
子として壊れていく父を見ていることは辛かった

父の逝った夜
遺影用の写真を探している時
偶然に父の手帳と母の日記が出てきた

泣いた。

私は父を知らなかった。
私は母を知らなかった。


父は自分が何かおかしいとの不安で
事細かに何でもメモをしていた
やがて字は乱れ、内容も怪しくなるその間際まで


母は強い人だとずーっと思っていた
悲しい、つらいの言葉を聞いたことなどなく
病院では「どこが痛いか悪いか言わないと治療にならないでしょう」
と、よく叱った
それが日記には
弱音がそこかしこに・・・
本音が何度も空間にぶつけられ・・・



切ないのは私が田舎へ帰った日の喜びよう
美味しい、楽しい、嬉しいの文字がおどり
「今日○○が帰っていった また淋しい日が続く」
「娘が作った食事はとてもおいしい 楽しい夕食だった」
「娘は花を見てくると秋吉台に行った 夕方にはもう帰るという
  さびしい・・・」
・・・・・・
   ・・・・・・・


父の心細さを分かっていながらも寄り添えなかった
母の弱さを知らないままだった
胸が痛い


母の日記は父に託けて父の手帳といっしょにお棺の中に入れた

葬儀の最中
頭の中が空白になり
「あ~倒れそう 父は私も一緒に連れて行こうとしているのかしら?」
そう思った時
すぐそばの窓でツバメの群れが旋回し、白い鷺が三羽飛び立つのが見えて
我に返った

ブログには_e0064375_12161981.jpg

一緒に出掛けることが好きだったけれど
もう、このころは億劫がった

ブログには_e0064375_1218199.jpg

たぶんこの私に向けられる笑顔が娘と分かる最後らへんの
冬 息子と父を連れて海へ行った時の写真


そうだまだ私には命が残ってる
明日という日も生きていかなくてはならないし
人はそれぞれの家にそれぞれの事情を抱えながら生きていくんだから


と、いうわけで
また明日から
ここ、定食屋
変わり映えもしませんがいつもの定食お出ししましょう

なるべく美味しいものをと思ってはいますが
なんせ、この店の店主 腐ったものや余りもの
気づいてか気づかないでか出したりします
食あたりなど なきよう 
気をつけられて(客に気をつけさせるの?)
今後ともどうぞよろしくお願いいたします


お礼!!
お休みにもかかわらず毎日のように変わらず来てくださった方
ありがとうございました。
カウントが減ることもなく刻まれていることに感激して
ちょっとウルウルしてしまいました。
かさねて かさねて ありがとうございました 



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by umiko0 | 2013-08-29 12:25 | 雑談 | Comments(22)
Commented by 不苦労 at 2013-08-29 13:03 x
ご愁傷様です 
ご冥福をお祈りします
何かあったのかな・・・・?
と思っていましたが・・・・・
暫くは思いっきり泣いて悲しがって下さい
100歳まで生きていても親に対する思いは同じではないでしょうか

私事で恐縮ですが2年前に父の50回忌を営み
今年の秋は母の17回忌を営む予定です
素敵な笑顔のお父さんとご子息
私も92歳まで生かされて孫とこんな写真を撮ってもらえるだろうか?
ふとそんなことを考えました
いつものような洒落っ気の多い素敵な海子さんに戻られること
それが一番のご両親へのご供養かも
思いつくまま生意気言って済みません

合掌
Commented by おたま at 2013-08-29 16:12 x
そうだったのですね。
お悔やみ申し上げます。
いいお写真ですね。
息子さんにお祖父さまの面影が宿っていますね。
Commented by 何処吹く風 at 2013-08-29 16:45 x

 昨日、女房の伯父の葬式でした。享年94歳。高僧の
 木像のような死に顔でした。しかし、そこの兄妹は、
 仲が悪く、兄のやり方が気に入らない妹は、通夜にも
 葬式にも出席しませんでした。
 母を私が29歳の時、亡くしたのですが、けっこう、
 泣きました。でも、葬儀のあと、次から次へと、
 いろいろ、行事はあるし、葬儀に間に合わなかった
 弔問客を迎えたり、会葬お礼にでかけたりで、
 あっという間に数日が過ぎ、忌引きを終えて日常に
 戻れば、日々の生活に埋もれて「ああ、こういうふうに
 悲しみを薪か何かのように燃やしていく仕組みが
 世の中にはあるのだなあ」と思いました。
 自分の年齢からすると、今後、次々と近親者や
 親しくさせていただいた方の葬儀に立ち会うことに
 なりそうですが、燃やしても燃やしても燃やし
 尽くせない悲しみを抱えた方への気持ちの有りようを
 考えてみたいと思います。
 御尊父の御冥福をお祈り申し上げます。
Commented by yohachi-nitta at 2013-08-29 17:11
海子さん、悲しみは年月が、時間が解決してくれるまで待ちましょう。

旅立たれてもあちらから見ているそうです。
想いが晴れないのは、生き続けているのと同じだそうですからね。
本当に、息子さんへお父上の面影が重なりますね。
私なんか慰めの言葉も見付からなくて、ご免なさい。
お悔やみ申し上げます。
Commented by 海子 at 2013-08-29 18:40 x
不苦労さん

ありがとうございます。

今回限り海子ではなく○○として書かせてもらいました

また明日からは海子として出てきます


Commented by 海子 at 2013-08-29 18:44 x
おたまさん

ありがとう
おたまさんち 楽しい~♪
文章もうまい!
またお出かけする素敵な場所が
縁として見つかりました
よろしくお願いいたします
Commented by 海子 at 2013-08-29 18:52 x
何処吹く風さん

薪を燃やすように悲しみをくべる・・・
そうですね
薪はいくらでもあり、なかなか燃やせつきませんが
日々の生活や雑事で時間だけは流れます

ありがとうございました
Commented by 海子 at 2013-08-29 18:56 x
yohachi-nittaさん

ありがとうございました
明日からは元気に登場しますので
よろしく (^_^;)

父、母がいて私と言う存在が
胸に位牌も遺影も思い出も収めました
Commented by 澄代 at 2013-08-29 19:38 x
海子さん
寂しく成っちゃったね~!
泣きたく成ったら思いっきり泣いて下さいね~
何時までも海子さんの胸の中に居ますよ~ご両親が。


私の母も3月に92歳で亡くなりました。
多分、自分が死ぬなんて夢にも思ってなかったと思います。
入院した時は。

98歳で、母の事も私達娘の事も分からなくなってグループホームに居る父を看取ってから逝くつもりだったのに・・・。
あまりにあっけなく涙の出る間もありませんでした~!?!
今でも実家に行くと居るような気がします。


人はなかなか心の中は見せないもんです・・・。
わたしなんて自分の心の中も解らない?!・・・。
Commented by Morris. at 2013-08-29 23:51 x
・そして 谷川俊太郎(『minimal』より)

夏になれば
また
蝉が鳴く

花火が
記憶の中で
フリーズしている

遠い国は
おぼろだが
宇宙は鼻の先

なんという恩寵
人は
死ねる

そしてという
接続詞だけを
残して
Commented by マーさん(井上雅行) at 2013-08-30 01:17 x
初めてコメントさせて頂きます。「山に暮らせば」のKonno 先生のブログのリンクから海子0さんのブログを読ませて頂き、海0さんの絶妙な文章のフアンになりました。「暫くブログを休みます」を読んで何かあったのかと思い気にかかっておりました。お父様がお亡くなりになったのですね。お寂しくなられましたね。私も数年前父を亡くしました。亡くなった時はそうも思わなかったのですが暫くするとジャブのように父の死が効いてきて、親の死を受け止めるのに時間がかかりました。今はやっとおちつきました。いずれ私たちも行く道ですが、生きていられるうちは精一杯生きようと思います。これからも海子0さんの美味しそうな日替わり定食が供されるのを楽しみにしております。頑張って下さい。
Commented by muu at 2013-08-30 08:51 x
海ちゃん、あれあれ・・あれね・・

確か・・銭なんとか・・銭がついとったような・・

ゼニ~なんとか・・。。。
Commented by 海子 at 2013-08-30 15:39 x
澄ちゃん

ありがとう。
澄ちゃんも本当にいろいろ頑張ったよね
頑張ってるよね
人は外見ではわからないね
わが父も母が亡くなってから急速に痴呆が進み
悲しい、苦しい、痛いが分からないようになりました
死の恐怖もなかったと思います
最後は本当に穏やかな顔だったことが救いです
Commented by 海子 at 2013-08-30 15:43 x
Morris.さん

は、腕のいい整体師のように
ここぞのツボを・・・
いつもありがとうございます
とても好きな詩を
大事に受け止めさせてもらいます

Commented by 海子 at 2013-08-30 15:52 x
あ、井上雅行さん♪

お名前は紺野先生の所でよく・・・
わざわざお越しいただき恐縮です

両親を送りましたが
考えようによってはこの年まで
親を身近に感じて生きてこれたことを感謝しなくてはと・・・
生の長さに充分ということはないかもしれませんが死を迎えるべき時が来たと
最後は穏やかに送ることが出来ました
残された私もそう先の事でもない人生の終焉はかすかに見える距離となり
残された時を大切に生きていきましょう
書き込みありがとうございました。

Commented by 海子 at 2013-08-30 15:54 x
muuちゃん

ゼニ、銭 言うなって・・・
銀貨クラゲらしいよ
ググってみたらなんと不思議な奴
やっぱり見たい (^_^;)

Commented by kenji at 2013-08-30 20:25 x
御冥福をお祈り申し上げます。
昨年同じように親父さんがお気持ちお察しします
Commented by 海子 at 2013-08-30 21:56 x
kenjiさん

ありがとうございます。
自分の中に思い出や記憶として残ってはいるんですが
そこにいるはずの存在がない、これからずっと と、いう事実はけっこうきますね・・・

姫島の画像拝見しております
また行きたい~
Commented by muu at 2013-08-31 09:01 x
そうだそうだ!銀だ銀だ。銀貨クラゲで検索したらA先生のブログへ飛んだよ~^^
ダルマギクが咲くころおいで~~
Commented by 海子 at 2013-08-31 09:04 x
muuちゃんおはよ~

よっしゃ
ダルマギクが咲くころだね
わかった♪ 行く♪
Commented by 沙羅 at 2013-08-31 22:21 x
海ちゃん、お父様のご冥福を心からお祈りいたします。

そうだね、親の心なんて子は何も分かっていないよね。
でも、きっと、それは繰り返されていくもので・・・・・。

今、手帳や日記から、ご両親の思いを知られたことで、
これからご両親を偲ばれる時、目に見えていたご両親と共に、心の思いも思い出してあげられますね。
それが、どんなに切なくても、思い出してあげることが供養だと・・・・。
海ちゃん、しばらくはご供養をたくさんしてあげてください。
親を送るのは子の役目、ご両親をきちんと送られた海ちゃんは、親孝行な娘です。
ご両親は、感謝しておられますよ。
Commented by 海子 at 2013-08-31 23:54 x
沙羅ちゃん

ありがとうございます。
やがては自分も子供を残していく身
死に方ということを考えます
感情面ももちろんいろいろありますが
死にすらお金がたくさんかかるということ
ゆっくり別れの時間を取ることも出来ず
次々にこなさなければいけないことが・・
順番として子供にそれだけの負担を残すことが心配です
死ということについて考え込んでしまいました。

○父さん子と言われしままの我が胸に
 遺影抱く日の通り雨なる

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